物事の捉え方の歪みは、苦痛や苦しみ、辛さ、ストレスを生み出す。
整意識處の在唯(さい)です。
出来事はただ起こる。
決して、
目醒めさせようとか
気づかせようとかして起こしているわけではない。
ただ起こっているだけなのだ。
そこに意図はない。
だが、現実世界の存在たちが、
その起こったことで、
気づくことがあったり、
腑に落ちることがあったりするだけだ。
ただ起こるとしか言いようがない。
だから、
何かに気づければそれでいいし、
気づけなくてもそれでいい。
それを望んで起こしているわけではないからだ。
望むというものを、私は知らない。
意図というものも
原因というものも
理由というものも
私は何も知らないし、わからないのだ。
ただ現実という世界が起こり、
その中で、いろんなことが起こっていくだけで、
私には、何も起こらない。
なぜなら、私は、その現実という世界にいないからだ。
その世界は、私の中で展開している。
そもそも、私は私ではない。
何でもない存在で、
私以外何も存在してないので、
名前もないし、動く場所もないし、
言葉もない。
誰と喋るというのか。
私はただ在るだけだ。
それだけしかできないのだ。
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